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東京地方裁判所 昭和29年(ワ)1991号 判決 1957年3月30日

原告 社団法人中央馬事会

被告 国

主文

原告は解散しない法人として存続することを確認する。

原告のその余の請求は棄却する。

訴訟費用はこれを五分しその一を被告、その余を原告の各負担とする。

事実

第一原告の申立並びに主張

原告訴訟代理人は、「被告は原告に対し、別紙目録記載の不動産を引き渡し、かつ、所有権移転登記手続をせよ。原告は解散しない法人として存続することを確認する。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決並びに不動産引渡しの部分につき仮執行の宣言を求め、その請求原因として次のとおり陳述した。

一  原告は、「馬の改良増殖、利用増進、適正取引、馬事思想の普及その他馬事振興を図り、これに必要な事実をおこなう」ことを、目的として、訴外都道府県馬匹組合連合会及び県を単位とする馬匹組合(以下総合して「馬連」という。)計四十六団体を主軸会員とし、これに訴外日本競馬会を始め、全国的馬事団体の全部を会員に網羅し、民法の規定により設立された公益社団法人であつて、昭和二十一年二月九日、主務官庁である農林大臣の設立許可を受け、爾来、設立目的達成のため各種事業を遂行して来たものである。しかして、昭和二十一年十一月二十日旧地方競馬法(法律第五七号)の公布とともに、原告もまた、設立目的達成のための事業の一として、同法第一条第二項の規定により、地方競馬の施行を認められたので、これを機会に、馬の改良増殖のための不可欠の施設である地方競馬の機能発揮に全力を傾注し、その成績見るべきものがあり、各方面の歓迎を受けつつあつた。(従来は大正十二年法律第四七号旧競馬法にもとづいて設立された法人である訴外日本競馬会だけが、いわゆる公認競馬の施行を認められていた。)

二  しかるに被告は、地方競馬法施行後一年も経過しないのに、競馬制度の改正を企図し、従来の競馬施行団体(すなわち、旧競馬法の競馬の施行者である訴外日本競馬会並びに旧地方競馬法の地方競馬の施行者である原告及び訴外「馬連」四十六)計四十八団体の施行する民営競馬を廃止して国有国営公有公営競馬に改め、これら団体の資産負債の一切を無償で国有公有に移し、移してから之等団体を解散させることを内容とする競馬法を立案、昭和二十三年七月一日第二国会に提出、その可決を見るや同年七月十三日法律第一五八号として公布、同月十五日政令第一七三号をもつて、施行の日を同年七月十九日と定めた。すなわち、同法第三十七条は、

(第一項)

政府は日本競馬会及び社団法人中央馬事会の資産及び負債を承継することができる。

(第二項)

都道府県は、馬匹組合連合会(県を区域とする馬匹組合を含む以下同じ。)の資産及び負債を承継することができる。

(第三項)省略

(第四項)

第一項又は第二項の規定により政府又は都道府県が日本競馬会及び社団法人中央馬事会又は馬匹組合連合会の資産及び負債を承継した場合においては、これらの団体の解散の登記は農林大臣又は当該都道府県知事がこれを行う。

と規定し、その第一、二項において原告ならびに訴外日本競馬会及び馬連の資産、負債の一切をこれら団体の意思に関係なく無償で強制的に接収することを定めたのである。(馬匹組合に対しては別に、同年七月十五日公布、同年八月十三日施行の「馬匹組合の整理等に関する法律」-法律第一六六号第四条をもつて、馬匹組合の資産負債を強制的に都道府県において承継する旨明白に規定された)

三  これよりさき政府は昭和二十二年十二月二十三日の閣議において「競馬制度の改正に関する件」を決定し、訴外日本競馬会の施行する旧競馬法の競馬を政府の直営に、原告及び都道府県馬連の施行する旧地方競馬法の地方競馬を都道府県の直営にそれぞれ改め、他方政府は日本競馬会及び原告の各資産負債の一切を都道府県は都道府県競馬連の資産負債の一切を、それぞれ包括して無償で承継(接収)し、かつ、承継と同時にこれら団体の解散を強制し、もつて国有国営公有公営競馬制度の樹立を企図し、新競馬法施行に至るまで約半歳の間、その具体的実施についての研究を重ねていたのであるが、その事前措置としてこれらの団体に従来認められていた資産処分の自由を全面的に制限することを必要として、

(一)  昭和二十三年一月三十一日附農林省令第五号(馬匹組合及び馬匹組合連合会の資産処分の制限等に関する件)

(二)  昭和二十三年一月三十一日附二三畜第三〇七号都道府県知事宛の農林省畜産局長通牒(馬匹組合の資産処分の制限等に関する件)

(三)  昭和二十三年二月十二日附農林省令第一〇号(馬匹組合及び馬匹組合連合会の資産処分の制限等に関する件)

(四)  昭和二十三年二月十二日附二三畜第五〇九号都道府県知事宛の農林省畜産局長通牒(馬匹組合の資産処分の制限等に関する件)

(五)  昭和二十三年二月五日附日本競馬会理事長宛農林省畜産局長通牒(資産処分の制限に関する件)

(六)  昭和二十三年二月五日附中央馬事会長宛農林省畜産局長通牒(資産処分の制限に関する件)

を発してこれに備えていた。

四  一方原告は、昭和二十三年七月七日、農林省畜産局長から、新競馬法が施行されたならば、政府は同法によつて原告の資産負債の一切を承継するから、総会、理事会において、新競馬法が施行されたならば、その資産負債の一切を政府に引き継ぐ旨の決議を行うことを命令されたが、原告としてはその資産を政府に引き継ぐことを希望せず、むしろこれを機会に解散総会を開き自主的に解散すべきものとし、同月八日右目的をもつて臨時総会招集手続を行い、同月十一日中央大学講堂において開催された総会において解散決議を行おうとしたところ、当日の臨席係官は解散決議を行うことを許さず、前記の資産引続決議を行うことを再度指示したので、原告としては、近く公布施行さるべき新競馬法第三十七条第一項第二項の規定が強制を趣旨とする規定である以上、これに従わざるを得ずとして、「競馬法施行の上は中央馬事会の一切の資産及び負債は監督官庁指定の下に政府に引継ぐものとす。」との決議を行うに至つた。すなわち、被告はその作成にかかる「競馬法第三十七条の規定により原告の資産及び負債を政府において引継ぐための契約」(甲第二号証-以下「契約」という。」の原案を原告に提示し、「従来の競馬施行団体は独禁法の趣旨によつて解散しなければならなくなつたから、民営競馬を廃止してこれを国営公営に改めその資産負債は国有公有に移すこととし、そのために法第三十七条の規定が設けられたものであり、原告は同法条の規定によつて契約締結を拒むことができない。」と言明し、更に「競馬法施行の前日の七月十八日までに契約を締結せず、また七月二十六日までに財産の引渡及び解散登記をしないときは、原告を閉鎖機関に指定しその役員は公職から追放する」意図を明示したので、原告はやむなく前記決議を行うに至つたものであり、原告の代表者たる会長松村理事は右決議にもとづき、同月十八日被告との間に、前記「契約」を「七月十九日競馬法施行の日に効力を発生するものとする。」停止条件付で締結し、七月十九日競馬法施行とともに、当時の帳簿価格をもつて約三千四百万円余に上る原告の資産(別紙目録記載不動産はその一部である。)を被告に引き継いだのであるが、けだし、原告の資産負債の被告への承継(無償接収)は法第三十七条第一項の規定による被告の権利行使によつて当然生ずるものであり、前記「決議」ならびに「契約」は具体的にその引継方法(執行方法)を定めたものであつて右「契約」によつて政府に承継の法律効果を発生するものではない。(この意味において「承継」と「引継」とは用語としても使いわけられているのである。)

五  しかしながら、たとえ原告が独禁法の趣旨により解散しなければならなくなり、又競馬が国営公営に改められなければならぬものとしても、

(一)  原告の資産を無償で被告へ承継することを規定した法第三十七条第一項は憲法第二十九条の私有財産保障の規定に違反し無効である。すなわち原告は冒頭記載のとおり民法の規定による公益社団法人であり、憲法上その財産権を保障されているのであるから、その資産を公共のために用いる必要があるとしても、正当な補償なくしてこれを接収することは許されないものだからである。よつて法第三十七条第一項が無効である以上、右規定を前提としてこれを実施するためになされた「契約」は当然に無効であり、右「契約」にもとづいて別紙目録記載の物件を取得した被告の行為も無効である。

(二)  かりに競馬法第三十七条第一項が非強制の規定であり、「引き継ぐための契約」が「承継契約」であつて、右「契約」の効力として承継が行われたものであるとするならば、原告は右規定が強制の規定であり、原告において「契約」締結を拒むことができないと誤信した結果これに応じたものであり、これを知つていたならばそのような「契約」を締結する筈はなかつたのであるから、原告のなした「決議」ならびに「契約」締結の意思表示には要素の錯誤があり、右「契約」は無効である。

よつて、いずれにしても前記物件は依然として原告の所有に属するものであり、被告は原告に対し右各物件を引き渡し、かつ所有権移転登記手続をなすべき義務がある。

六  前記「契約」第六項においては「同日(七月十九日)農林大臣は原告の解散登記を行うものとする。」と定められ、被告は同年七月十九日、右契約条項ならびに競馬法第三十七条第四項により、原告の「事業の成功不能による」解散登記を嘱託し、その旨の登記がなされた。しかしながら前記「契約」は無効であり、右「契約」おいても法第三十七条においても、原告が解散する旨の規定はなく(日本競馬会の場合はその設立の根拠法たる旧競馬法の廃止により当然解散となり、馬連場合は馬匹組合の整理等に関する法律第一条第一項により解散する)解散決議もなされておらず、他に何らの解散理由も発生していないから、原告は解散しない法人として依然存続するものである。すなわち、原告が資産を喪失したものでないことは前段に主張したとおりであるが、かりに資産を喪失したものであるとしてもそれだけで「目的たる事業の成功不能」とはならない。新競馬法の施行により原告に競馬の実施が認められなくなつても、原告は競馬を実施することだけでなく、冒頭記載のとおり馬に関する諸種の事業を行うことを目的とする法人であり、会員の一部が解散してもなお複数会員が残存し、新たに設立された団体の加入希望者もあつたから、もちろんこれにより事業の遂行が困難になることは事実であるが、「目的たる事業の成功不能による」解散はあり得ないのである。原告は民法の規定によつて解散決議を行い、みずから解散登記をなし得るのであるから競馬法第三十七条第四項の規定は無用の規定であるが、あえてこれが制定せられたのは、同条項により原告を強制的に解散させるためであると解するほかないが、同条項は憲法第二十一条の集会結社の自由保障の規定に違反し、同法第九十八条によつて無効である。かりに原告が前記「契約」の効力によつて当然解散するものであるとすれば、右は民法の規定によらない解散であり、前記法第三十七条第四項は民法の規定によらない清算手続を定めたものであるから無効である。よつて原告が解散しない法人として存続することの確認を求める。

七  (被告の主張に対し)被告は新競馬法は四十八馬事団体の閉鎖機関指定とその役員の公職追放とを回避するために制定されたものであると主張するが右は全く事実に反する。総司令部「レクイデーシヨン・ブランチ」が昭和二十三年六月三十日政府に対し、原告等四十八馬事団体を七月二十日を期し閉鎖機関に指定すべく要求してきたことは被告主張のとおり認めるが、被告はこれに関係なくすでに昭和二十二年十二月二十三日の「競馬制度の改正に関する件」閣議決定以来独自の立場から競馬の国営公営を企図し、新競馬法の立案にあたつていたことは前段に主張したとおりである。なお総司令部アンチトラスト課のヘンリー・ウオール氏の意向は、四十八馬事団体以外のものにも競馬を施行し得る措置を講ずべきであるというにあり(たとえば日通、NHK以外のものにも通運事業、放送事業を行うことを認めたように)、四十八馬事団体の施行する民営競馬を国営公営に改め、その資産負債を政府都道府県が承継してこれら団体を解散せしめるというにあつたのではない。しかるに政府は四十八馬事団体以外のものにも競馬の施行を認めることは好ましくないと考え、当時の社会党内閣の標榜する重要産業の国有国営化の政策に便乗、四十八馬事団体の施行する競馬は独禁法の趣旨に違反するとの口実を作り、自主的に競馬の国営公営制度を計画するに至つたのである。しかるに前記のとおり総司令部から閉鎖機関指定の要求があり、もしこれが実行に移されるならば、新競馬法が制定されても、閉鎖機関令がこれに優先する結果、その企図する国有国営公有公営競馬制度の実施ができなくなるので政府は総司令部から閉鎖機関指定要求のあつたことをこれら四十八馬事団体に知らせることなく、政府独自の立場で右指定の撤回方を総司令部と折衝し、新競馬法の制定により国又は都道府県が四十八馬事団体の資産負債を包括的に強制承継すると同時にこれら団体は解散することになるから、閉鎖機関に指定しなくても指定したと同一の効果を収めることができると説明、総司令部においても、閉鎖機関指定要求期限前の七月十九日までに政府がその説明のとおり実行するならば、指定要求を撤回してもよい意向を明らかにしたので、政府は前記の経過により原告に対して資産引継ぎを強制したものである。

競馬法第三十七条第一項第二項は「承継することができる」と規定されてはいるが、これは刑法第十九条の「スルコトヲ得」と同様であり、これがために右規定が非強制のものであるということにはならない。同条項の原案は「承継する」とされていたが、これが「承継することができる」と改められたものであり、これによつて政府都道府県に四十八馬事団体の資産負債を(四十八馬事団体の意思に関係なく)包括無償で承継し得る権利とその行使の自由を付与し、もつて競馬会、馬事会、各馬連の資産負債の承継とその解散とを政府都道府県の自由意思によつて時を異にして行い得ることを認めたにすぎない。被告は法第三十七条第一、二項は憲法第八十五条、財政法第十五条の関係で設けられたものであると主張するが、それならば憲法第八十五条財政法第十五条の適用を受けない都道府県のために法第三十七条第二項を設ける必要はない筈である。

原告としてはその資産負債の一切を無償で政府に引き継いで解散するよりはむしろ閉鎖機関指定を受けた方がよく、二三の役員が公職を追放されてもそれは役員個人のことであつて、原告の問題ではない。(閉鎖機関に指定されてもその役員が当然に公職追放となるものでなく、現に千葉県馬匹組合連合会は閉鎖機関に指定されたが、主要役員の何人も公職から追放されることがなかつた。)閉鎖機関に指定されれば特別清算人による清算手続が行われるが、残余財産については通常清算手続により類似目的に使用することができるのであるから、原告みずから閉鎖機関指定回避を企図したことはないのである。又被告は「債務の引受をなし、負債については予算を要求し、弁済を完了しておる。」と主張するが、原告の役員に対する退職金を全然支払つておらず、職員に対する退職金もその一部を支払つたにすぎない。

原告の構成員である日本競馬会、馬連、日本獣医師会、日本装蹄師会都道府県獣医師会、都道府県装蹄師会等が当時近く解散すべき状況にあつたことは被告主張のとおり認めるが、原告は財団法人でなく一般公益社団法人であつて、社団構成の基本要件である複数会員として、なお日本家畜商協会、全国馬術連盟、輓曳協会等が残存しているのであるから、社員の缺亡による解散事由も発生しない。

原告の解散登記につき解散事由を証する書面として原告会長名義の事業成功不能による解散申出書が添付されている事実は認めるが右書面は原告会長の知らない間に作成されたものであり、又原告会長に原告の事業成功不能による解散を決定する権限もないのであるから右書面は無効のものである。(原告が特別法人日本馬事会の後継団体であるとの被告の主張は否認する。原告は終戦後の設立にかかり、その構成員である各団体も馬連、装蹄師会、獣医師会等であつて、これらは国家総動員法関係法令によつて設立されたものでなく、原告は日本馬事会の資産を譲り受けたものでもない)。

第二被告の申立並びに主張

被告指定訴訟代理人並びに訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁として、次のとおり陳述した。

一  原告中央馬事会設立の経緯並びにその事業の内容(原告が民法の規定にもとずいて成立された公益社団法人であること)、「競馬法第三十七条の規定により原告の資産及び負債を政府において引き継ぐための契約」が成立し、被告が右契約にもとづいて原告の資産を引き継ぎ(所有権を取得し、かつ、その引渡しを受け)、原告の解散登記がされたことは、原告主張のとおり認めるが、原告主張の「契約」が無効であり原告主張の各物件が原告の所有であること、原告が解散しない法人であることはいずれも否認する。

二  新競馬法第三十七条は、原告主張のように国に原告の資産負債を強制的に無償で接収する権能を認め、原告にこれを引き継ぐべき義務を課したものではない。右法条の趣旨、憲法第八十五条並びに財政法第十五条との関係において正当に理解し得るものである。資産の引継ぎはともかく、負債の引継ぎについては、憲法並びに財政法によつて国会の議決を要することとされ、私法上の契約のみをもつてこの引継ぎを行うことが許されないので、国にこのような契約をなし得る権能を付与するため、法第三十七条第一項の規定が設けられたのであつて、同条項は原告の資産を無償で、かつ、強制的に接収することを目的として定められたものではない。このことは、同法条が「承継する」と規定せず、「承継することができる」と規定していることからみて、疑の余地のないところであろう。

三  原告の資産負債の国への引継ぎは、当事者双方の自由な意思にもとづいてされたものであり、法第三十七条の規定により原告の意思を抑圧して契約締結を強制したものではない。すなわち、

(原告の性格並びに契約締結の経過)

(一) 原告は、昭和十六年十二月、国家総動員法による馬事団体令(同年勅令第一、二〇一号)にもとづき、馬事に関する事業の綜合的統制運営を図る等の目的をもつて設立された特別法人日本馬事会をその前身とする。終戦後、国家総動員法及びこれにもとづく馬事団体今は当然廃止すべき運命にあり、日本馬事会の解散が予想されたので、これに対応して新たに馬事に関する全国中央団体を設立せんとする運動が起り、昭和二十一年二月九日、原告社団法人中央馬事会が設立され、同年四月一日、日本馬事会解散により、その資産の一部は原告に引き継がれた。しかして、原告の収入としては、僅少な政府補助金、訴外日本競馬会からの寄付金等がその主要なもので事業の活溌な運営は望むべくもなかつた。

(二) しかるに、昭和二十一年十一月二十日、地方競馬法(法律第五七号)の公布により、原告主張のとおり、原告もまた地方競馬の施行を認められた結果、原告は、各県の「馬連」から競馬の施行の都度多額の納付金の交付を受けると同時に、みずから主催する地方競馬により収益をあげ、その後解散に至る一年有半の間に四千六百万円の資産を擁するに至つたが、昭和二十二年十一月、第一回国会において農業協同組合法が成立した際に馬匹組合法を速かに廃止すべき旨の附帯決議がされ、早晩、馬匹組合法の廃止法律案が国会に提案されることが確実な情勢であつたので、将来の地方競馬をいかなる団体に施行させるか等の問題が研究されなければならなかつた。

(三) 他方、当時連合軍総司令部においては、我国の競馬制度につき、私的独占禁止等の見地から種々の調査を続けていたが、特にG・H・Q・アンチトラスト課ヘンリー・ウオール氏の意向は、日本競馬制度は独禁法の趣旨に違反するから、これを改めて無制限に民営を許可する新制度を樹立し、地方競馬の主催者を閉鎖機関に指定して解散させ、その主要役員を公職から追放すべしというにあつた。しかして、昭和二十二年十一月に至り、地方競馬は国営又は公営としなければ地域独占施行を認め難いとする総司令部の態度が明瞭となつた(ウオール氏は、あくまで無制限民営を固執し、ただ、日本政府が明確な理由のもとに、国又は公共団体の直営方式を採用するというならば、競馬の独占施行形態もあえて拒むものではない旨の見解を示すに至つた)ので、農林省としては、総司令部との折衝と並行して、訴外日本競馬会及び原告と連絡をとり、競馬制度の改正案を研究し、原告としても、前記のとおりその主要構成員である「馬連」等が早晩解散することが明らかとなつており、又右総司令部の強い方針に対処して、原告の解散を前提としてその資産の処分等につき協議していた。

(四) しかるに、これら政府及び原告の努力にもかかわらず、総司令部は、昭和二十三年六月、原告等を閉鎖機関に指定することを政府に要求してきたが、閉鎖機関令による閉鎖機関に指定された場合において、当該団体は解散し、指定日において特殊清算人による清算の段階に入ることとなり、かくては競馬の開催は不可能になるか又は重大な支障が生ずることが考えられ、このことは競馬再開によつて前途に曙光を見出した原告の役職員はもとより、公認競馬の関係者、地方競馬の開催者等多数の者にとつて再起不能の打撃を受けることを意味した。このような事態を起すことは政府としても原告等の関係者としても、万難を排して回避しなければならなかつたので、政府は急遽、総司令部の意向を体した新競馬法案を昭和二十三年七月二日第二国会に提出し、右法案は同月三日通過成立した。法律の成立後、政府は、この法律の制定により、原告の資産負債は国に引き継ぐこととなる見透しを述べ、原告を閉鎖機関に指定する必要のないことを力説した結果、総司令部は、原告等の閉鎖機関指定を一応撤回したが、なおも原告を速やかに解散させ、その清算は一週間以内に完了すべき旨の意向を堅持しており、もしこれが実行できなければ、何時でも閉鎖機関指定を要求する態度であつた。なお、競馬法公布後も、総司令部が依然として原告等の閉鎖機関指定を命じてくる可能性が十分憂慮されたので、政府はこれに対処するため、公布後僅に一週間の間をおき、七月十九日に新競馬法を施行し、旧競馬法及び地方競馬法はこれによつて廃止された。

(五) 原告としても、解散してその財産を政府に引き継ぐことは叙上の客観情勢からしてやむを得ないことと考え、七月十一日中央大学講堂で開催された臨時総会において、「資産負債の一切を政府に引き継ぐ」ことを満場一致決議し、新競馬法施行の前日である同月十八日、国との間に原告主張の「競馬法第三十七条の規定により原告の資産及び負債を政府において引き継ぐための契約」を締結した。しかして政府は、翌十九日、原告からの事業の成功不能を事由とする解散申出を受け法第三十七条第四項の規定により農林大臣において原告の解散登記を行い、引き続き、契約により承継した動産の引渡し不動産の所有権移転登記を受け、承継した債務については予算を要求してその弁済を完了したのである。

四  法第三十七条第四項は、国が原告を強制的に解散させるために設けられた規定ではない。同法条において、国が原告の資産負債を承継した場合、農林大臣が原告の解散登記を行う旨規定したのは、原告が法人としての事業の成功不能に陥ることが客観的に当然予想されたので、このような解散事由が発生した場合の単に解散登記の手続を規定したにすぎず、解散事由の発生がないにもかかわらずそれがあつたものとして解散登記を行い得る旨規定したものではない。すなわち、新競馬法制定当時の原告の事情は、(一)新競馬法の施行により従来行つてきた地方競馬の旅行主体の地位を失う結果、原告はその事業の運営に必要な財政的基礎を失い、事実上原告本来の目的たる事業の遂行をなし得ないことを明らかにされていたのみならず、(二)原告の構成員が近い将来解散すべき状況にあつた-これを詳述すれば(1) 日本競馬会は新競馬法の制定により、(2) 馬連又は馬匹組合は馬匹組合法第三十七条により、(3) 郡市馬匹組合は馬匹組合の整理等に関する法律第一条第三項により、(4) 日本獣医師会、日本装蹄師会、都道府県獣医師会及び都道府県装蹄師会は獣医師会及び装蹄師会の解散に関する法律第三条により(その他設立当時会員であつた馬事団体令にもとずく団体「都道府県騎道会、都道府県馬商組合、都道府県馬事牧野協会及び都道府県輓馬組合」は、いずれも国家総動員法の廃止法律にもとづく馬事団体令の失効とともにすでに解散)昭和二十二年七月頃より解散することになり、現にほとんど大部分清算結了の状態である-こと、(三)これに加えて前記のように原告の資産負債が国に引き継がれる事情にあつたことは明らかであり、以上三つの要因が実現した場合は法人としての事業の成功不能として法定の解散事由が生じたことになるのは当然であるから、法はこのことをあらかじめ予定し、解散した場合の解散登記手続を規定したに過ぎない。しかして原告は、昭和二十三年七月十九日、会長名で政府に対し、成功不能を事由に解散の申出をし(乙第二十号証の一、二)、政府はこれを受けてその旨の登記嘱託をしたのである。

五  原告は本件契約当初競馬法第三十七条の規定の解駅を誤り、同法が国に原告の資産負債を強制的に接収する権能を与えたものであると解した結果この契約を締結したものであると主張するが、原告が右契約締結に際し法規の解釈を誤つたとするも、これは単に動機に誤りがあつたにすぎないものであるから、この錯誤が右契約を無効ならしめるとはいえない。もつとも右契約条項第一項に「国は競馬法第三十七条の規定にもとづき原告の資産および負債の引継を受けるものとする」と表示されているけれどもこれによつて右動機が意思表示の内容となるものではない。すなわち前段掲記のように、当時にあつては総司令部の方針からみて、政府が原告の資産負債を承継して競馬を国営にするか、又は原告を閉鎖機関に指定して特殊清算を行うかの二途が予想されていたので、政府としても又原告関係者としても総司令部に対しては政府の無償承継により閉鎖機関指定と同様の効果を収めることができるということでその納得を求め、かくしてその閉鎖機関指定を回避し、競馬中断の事態の惹起すことを防止しようと望んでいたのであるから、資産を引き継ぐことについては特に立法措置を講じなくても差支えなかつたが、負債の引継については憲法ならびに財政法との関係において新競馬法第三十七条の規定が設けられたものであることは前述したとおりであり、原告の資産は馬券発売という賭博行為を国家的見地から特に公認された結果により造成されたものであつて原告としても右資産を無償で引き継がれることは当然のことと考えていたのである。しかも競馬法案要綱および原告の資産負債承継の方針は法律制定前に原告の主要役員に連絡ずみの事柄であつて、これに対する異議反対はなく、遂に、原告みずからも閉鎖機関に指定されたうえ、その後に総司令部の指示するような「何人といえども競馬が行えるような制度」が成立、無制限に民営競馬が施行されるにおいては図るべからざる弊害が生ずることを極めておそれた結果、進んで政府の考と同調したものである。よつて原告の要素の錯誤の主張は理由がない。

第三証拠関係

原告訴訟代理人は後記書証目録<省略>のとおり甲号証を提出し、乙号証の認否をなし、証人松村真一郎、永松陽一、井上綱雄(第二回)の各証言を援用し、被告訴訟代理人は同じく乙号証を提出し、甲号証の認否をなし、証人山口立、井上綱雄(第一回)、伊藤嘉彦の各証言を援用した。

理由

一  原告が「馬の改良増殖、利用増進、適正取引、馬事思想の普及その他馬事振興を図り、これに必要な事業をおこなう」ことを目的として、訴外都道府県馬匹組合連合会および県を単位とする馬匹組合計四十六団体ならびに訴外日本競馬会を主軸会員として民法の規定により設立された公益社団法人であり、昭和二十一年二月九日主務官庁である農林大臣の設立許可を受けたものであること、昭和二十一年十一月二十日(旧地方競馬法の公布により原告もその事業の一として地方競馬の施行を認められ、これによつて収益をあげるに至つたこと、昭和二十三年法律第一五八号競馬法の施行により民営競馬が廃止されて国有国営公有公営競馬に改められるに際し、同年七月十八日原告と被告との間に「競馬法第三十七条の規定により原告の資産および負債を政府において引き継ぐための契約」が締結され、そのころ別紙目録記載物件を含む資産負債一切が原告に引き継がれ、不動産については原告から被告へ所有権移転登記がなされたこと、同年七月十九日農林大臣の嘱託により原告の「事業の成功不能による」解散登記がなされたことはいずれも当事者間に争いがない。

二  よつて競馬法第三十七条制定の理由および前記契約締結の経緯等について考察するに、前記当事者間に争いのない事実に、成立に争いのない甲第一、二号証、第五ないし第七号証、第九号証の一、第十一号証の一、二、第十四号証の一、二、第二十五、第二十六号証、第三十九号証の一ないし三、第四十号証、第四十三号証の一、二、第五十四号証、第五十七、五十八号証、乙第十五、十六号証、第二十号証の一、二、証人永松陽一の証言により真正に成立したものと認める甲第十七、十八号証、同第二十三号証、当裁判所が真正に成立したものと認める甲第十九号証および甲第四十一号証の一、二、第七十三号証乙第十八、十九号証に証人松村真一郎、永松陽一、井上綱雄(第一、二回)、山口立、伊藤嘉彦の各証言ならびに本件口頭弁論の全趣旨を綜合すると、

(一)  大正十二年四月旧競馬法の制定とともに全国十一の競馬倶楽部(民法上の法人)が馬券発売を伴う競馬施行者として公認せられ、爾来競馬は年を追つて盛大となつたが、これらの倶楽部の行う競馬は施行の統一を欠く傾向があり、倶楽部の運営、経営の面でも必ずしもうまく行かなかつたので、昭和十一年競馬法の一部改正により特別法人日本競馬会が設立され、従来の十一競馬倶楽部の資産負債を無償承継して全国唯一の公認競馬施行団体となつた。これをいわゆる公認競馬と称し、次第に隆盛を極めたが、太平洋戦争の激化につれ昭和十八年十二月十七日の閣議決定により一時競馬の開催が停止され、終戦後の昭和二十一年秋に至り公認競馬が再開された。

(二)  昭和十六年十二月国家総動員法による馬事団体令(昭和十六年勅令第一二〇一号)にもとづき、全国馬事統制の団体として特別法人日本馬事会が設立されたが、終戦後国家総動員法およびこれにもとづく馬事団体令は当然廃止すべき運命にあり、右日本馬事会の解散が予想されたので、これに対応して新たに馬事に関する全国中央団体を設立しようとする運動が起り、昭和二十一年二月九日、原告中央馬事会が民法にもとづく社団法人として設立せられ、日本馬事会と同一の場所を事務所として発足し、職員もそのまま引き継いで冒頭掲記の目的による事業を開始したが、その設立当時の構成員は、右日本馬事会、前記日本競馬会のほか都道府県馬匹組合連合会および県を単位とする馬匹組合計四十六団体、日本獣医師会、日本装蹄師会、都道府県獣医師会、都道府県蹄師会、馬匹組合、都道府県騎道会、都道府県馬商組合、都道府県馬事牧野協会、都道府県輓馬組合であつた。

(三)  昭和二十一年十一月二十日地方競馬法の公布により、都道府県を区域とする馬匹組合連合会(県を単位とする馬匹組合を含む)および「馬匹組合連合会の組織している公益法人たる全国区域の馬事団体」(原告がこれに該当する。)も競馬の施行を認められ、同法律により原告は馬匹組合連合会が競馬を施行する都度相当額の納付金の交付を受けることとなり、(この納付金は昭和二十一年度において原告の一般会計収入の約七五%を占めた。)、更にみずからも競馬を主催し、これらの収益によつて急激に資産を造成し、昭和二十三年七月現在資産約四千六百万円を擁するに至つた。

(四)  昭和二十二年七月私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律(以下独禁法という。)の施行とともに、原告、日本競馬会、馬匹組合連合会(これを四十八馬事団体という。)の施行する馬券発売を伴う競馬に独禁法違反の疑いがかかり、連合国総司令部アンチトラスト課においては我国競馬制度について独禁法違反の有無の調査を開始するに至つた。当初総司令部の意向は敗戦後の日本において競馬の施行は適当でないから禁止すべきものというにあつたが、結局禁止までには至らずして推移し、その一般的な意向としては戦時中の統制機関は閉鎖機関に指定して解散せしめ、その役員は公職より追放するというにあつて、原告および日本競馬会も閉鎖機関指定団体のリストにあげられている状態であり、一方総司令部アンチトラスト課ヘンリー・ウオール氏の意向は日本における民営競馬施行者を四十八馬事団体のみに限らず無制限に民営を許可すべしというにあつた。

(五)  政府としても、昭和二十二年十一月第一国会において農業協同組合法が成立した際に馬匹組合を速かに廃止すべき旨の附帯決議がなされ、早晩馬匹組合法の廃止法律案が国会に提案されることが確実な情勢であつたので、将来の地方競馬をいかなる団体に施行させるか等の問題を研究していたが、競馬を自由企業とする場合は競馬が営利的になつて公共的性質を失い競馬法制定の趣旨に反し、その他幣害が多いため到底これを認め難いとし、総司令部と折衝を重ねた結果、競馬を国営公営とする場合に限り地域独占施行を認める旨の諒解を得るに至り、同年十二月二十三日閣議決定の「競馬制度の改正に関する件」にもとづいて新競馬法案を起草するに至つた。右法案は国、都道府県のみが競馬を直営で施行し得るものとし、四十八馬事団体の資産負債を国、都道府県において承認し、同時にこれら団体を解散させることを骨子としたものであつた。

(六)  これよりさき原告は、原告が終戦後設立された任意団体であつて、戦時中の統制機関でなく、閉鎖機関に指定されるべきものでないとして総司令部又は政府にしばしば陳情していたが、前記のような風潮に対処してその資産を基本財産とする財団法人の設立を計画する等のことがあつたところ、政府は馬匹組合に対しては馬匹組合法第三十八条第一項の規定にもとづき昭和二十三年一月三十一日農林省令第五号を公布施行し、馬匹組合連合会にあつては農林大臣、馬匹組合にあつては都道府県知事の許可なくして資産を処分し得ないことと定め、農林省畜産局長は昭和二十三年一月三十日原告第五回定時総会において競馬の国営公営の方針を明らかにし、更に同年二月五日付原告宛依命通牒をもつて資産処分については事前に当局と打ち合せるべきことを要望してその資産の処分を抑制した。四十八馬事団体が閉鎖機関に指定された場合は閉鎖機関令にもとづく特殊清算手続に長年月を要し、国営公営競馬も早急に実施することができなくなり、これら団体の役職員その他競馬関係者等多数の者にとつて致命的の打撃となるほか、役員の公職追放も予想されるところから、原告等の関係者としても又政府としてもこのような事態の起こることを回避したいと考えたが、総司令部としては、政府においてこれら団体を閉鎖機関に指定したと同一の措置をとらないかぎり閉鎖機関指定要求をするとの態度であつたので、このような状態の下において政府が四十八馬事団体の資産負債を承継し、かつ、これら団体を解散させる方法を如何にするかが検討されなければならなかつた。当初政府部内においては、日本競馬会が十一競馬倶楽部の資産負債を無償承継した先例もあり、原告等の資産そのものが刑法の特例として公認された競馬(馬券発売)によつて造成された特殊のものであるから、その資産負債を政府都道府県において当然強制的に無償承認し、原告を解散せしめる旨の直接規定を設けるのが相当であるとの考方であつたがその後に至り、右はポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件(昭和二十年勅令第五四二号)による場合にはともかく、通常の法律による場合は憲法に反する疑いがあるから避けるべきものと考えるにいたり、政府都道府県においてこれら団体と合意のうえその資産負債を承継し、これら団体の解散については、日本競馬会はその設立根拠法である(旧)競馬法の廃止により、馬匹組合連合会、馬匹組合はすでに成立した農業協同組合に続いて制定されるべき馬匹組合の整理等に関する法律によつて解散することとなるが、原告は会員の殆ど大部分を失うことになる上競馬の施行という最大の事業を行い得なくなつてその財政的基礎を失う結果、その目的たる事業の成功不能によつて当然解散と解しうるから、これを解散せしめるための特別の措置(立法又は設立許可の取消)を要しないという見解によつて新競馬法の要綱が成立するに至つた。

(七)  しかるところ昭和二十三年六月三十日総司令部経済科学局財政部清算課は、原告等四十八馬事団体を同年七月二十日をもつて閉鎖機関に指定する旨の意向を明らかにしたが、政府は急拠総司令部に対し、現に立案中の新競馬法が施行されるならば四十八馬事団体を閉鎖機関に指定したと同一の効果を生ずるものである趣旨を説明し、閉鎖機関指定要求の撤回方を懇望した結果、右指定要求の期限の前日(ただし馬匹組合連合会に対しては更に一ケ月後)までにこれらの団体の解散及び清算手続を終了するとの条件のもとにその承諾を得たので、同年七月一日前記新競馬法案を第二国会に提出、同月その可決を見るや同年七月十三日法律第一五八号として公布、同月十五日政令第一七三号をもつて施行の日を同年七月十九日と定めた。これによつて総司令部は同年七月十四日四十八馬事団体の閉鎖機関指定要求を無期延期する旨決定したが、なお前記の条件が履行されないときは何時でも閉鎖機関指定の再要求をする意向であつた。

(八)  それよりさき昭和二十三年六月十五日、原告理事者等は農林省畜産局長から総司令部が近く原告等の閉鎖機関指定を決定する旨の内報を得たので、これに対処するため同日開催の原告理事会において「原告の資産全部を原告と構成員と目的との最も近い公益団体に移すものとす」との決議し、翌十六日開催の全国馬匹組合連合会長会議において社団法人日本馬事協会設立を決議し、即日右会議を設立総会に切り替えて発足、もつて閉鎖機関指定の場合に対処することとし、原告職員は閉鎖機関指定前に退職手当全額の支給を要求する等の動きがあつたが、新競馬法が可決成立するや、政府は昭和二十三年七月七日原告および日本競馬会の各代表者を農林省畜産局長室に各別に招致、同局長から、新競馬法が施行されたならば政府はこれら団体の資産負債を包括無償承継したい旨の意思表示を行い、新競馬法施行の日に効力を発生することの停止条件付で右資産負債の政府への引継ぎを理事会、総会の決議をもつてするよう要望した。

(九)  しかるところ原告としては新競馬法施行の日以前にその解散を自主的に決議して解散してしまつたならば新競馬法の適用もないものと解し、七月八日解散総会を招集、七月十一日午後一時中央大学講堂において開催、解散決議を行おうとしたが、同月九日農林省畜政課長等が、原告理事会に出席して、新競馬法は同月十五日施行され、原告の資産負債は無償で政府に承継し、七月二十六日までに引継ぎを完了、原告は引継終了まで善良なる管理者の注意をもつてその資産の保管に任ずる。原告職員は七月中政府の無給嘱託として引継事務にあたり、右期限までに清算を完了する。原告は目的たる事業の成功不能として解散する、右はすべて総司令部の方針であるからこれに従わないときは閉鎖機関に指定される旨の説明を行い、原告理事者の一部においてそういうことであれば閉鎖機関指定の方がよいとの声もあつたが、結局万やむを得ずとの空気となり、七月十一日の解散総会において理事者および政府係官からその旨を説明、政府より示した「競馬法施行のうえは中央馬事会の一切の資産及び負債は政府に引継ぐものとす」との決議事項原案につき「負債は」と「政府に」との間に「監督官庁指定の下に」との語句を挿入のうえ満場一致をもつて決議するに至つた。しかして七月十八日農林大臣(甲)と原告の代表者会長理事松村真一郎(乙)との間に、

(1)  甲は昭和二十三年七月十八日現在において競馬法第三十七条の規定に基き乙の資産及び負債の引継を受けるものとする。

(2)  甲は昭和二十三年七月二十六日までに乙の負債の引受を行い、乙は同日までに甲に対するすべての不動産の譲渡の登記を行い、甲に対しすべての動産を行うものとする。

(3)(4) (5) 省略

(6) 本契約は昭和二十三年七月十九日競馬法施行の日に効力が発生するものとし、同日甲は乙の解散の登記を行うものとする。

との契約が締結され、右契約の趣旨に則り資産負債の引継ぎがなされるとともに、原告会長松村真一郎より農林大臣宛、原告は目的たる事業の成功不能により昭和二十三年七月十九日解散した旨の上申書を提出、農林大臣は同月十九日新競馬法第三十七条第四項および前記契約第六項にもとづき、右上申書を原告の解散を証する書面として原告の「目的たる事業の成功不能による」解散の登記を嘱託、その旨の登記がなされた。

(十)  しかして原告の構成員である日本競馬会は(旧)競馬法の廃止により解散、都道府県騎道会、都道府県馬商組合、都道府県馬事牧野協会及び都道府県輓馬組合はいずれも国家総動員法の廃止法律にもとづく馬事団体令の失効とともに、新競馬法施行当時すでに解散、日本獣医師会、日本装蹄師会、都道府県獣医師会および都道府県装蹄師会は獣医師会及び装蹄師会の解散に関する法律(昭和二十三年七月十日法律第一一六号)により解散、馬匹組合連合会は馬匹組合法第三十七条により遂次解散、郡市馬匹組合は馬匹組合の整理等に関する法律(昭和二十三年七月十五日法律第一六六号)によつて解散したが、なお原告の会員としては昭和二十三年一月加入した日本家畜商協会、全国馬術連盟、輓曳協会が残存していた。

との諸事実を認めることができ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

三  しかして競馬法第三十七条第一項、第二項の規定は「承継することができる」と規定されているが、右規定の文理解釈によつては、被告の主張するように、これが政府に原告等の資産負債を強制的に承継する権限を与えたものでないと断定できないことは、刑法第十九条等の「スルコトヲ得」との規定と対照することによつて明らかであるが、一方右規定の文言自体から、法律的に原告等の資産負債が当然に政府に承継(所有権移転又は債務の引受)され、又は強制的に承継する権限を政府に与えたと解することも困難である。そこで右規定の文理解釈は暫くおき前記認定の諸事実に照らすときは、原告の資産負債の政府への承継は政府の一方的宣言によつてなされたものでなく、原告の臨時総会における引継決議およびこれにもとづき原告代表者と被告国との間に締結された「競馬法第三十七条の規定により原告の資産負債を政府において引継ぐための契約」によつてなされたものであり、原告としては閉鎖機関指定を甘受することにより右契約締結を拒む自由を有していたものと認められるから、原告主張の各物件の政府への所有権移転は競馬法第三十七条第一項の規定から直接生じたものではなく、右契約の効力として生じたものというべきである。もつとも右契約における約款第一項は「競馬法第三十七条の規定に基き・・・・引継を受けるものとする。」と規定し、甲第十一号証の一(農林省畜産局長より原告会長宛通牒)には「競馬法第三十七条に基いて当省に於て貴会より承継する財産の引継(中略)に関する実務」と記載し「承継」と「引継」を別異に用いているところに照らして、右「契約」は原告主張のように競馬法第三十七条の規定により当然承継された資産負債の引継方法についての契約であると解する余地もあるかの如くであるが、当事者間に成立に争いのない甲第十一号証の二(前同様の書面)によれば「競馬法第三十七条に基いて貴会より当省に承継ぐべき財産のうち貴会出先機関の財産については左記によつて承継致したい云々」と記載して「承継」を「引継」を同義に用いており、前記認定の競馬法制定の経緯、「決議」ならびに「契約」のなされた状況、「決議」「契約」の文言とを綜合して考察するときは承継(所有権移転)は右「契約」の効力として生じたもので右契約は単に引継方法についての契約ではないと解するのが相当と考える。

原告は右契約は要素に錯誤があり無効であると主張するけれども右契約締結に際して政府当局者および原告理事者等において法律上又は事実上右契約締結を拒むことができないと考え、そのような言動があつたとしても、前認定のような総司令部の方針新競馬法制定の経過更に総司令部と政府及び国民との当時の関係(右は顕著な事実なり、前記認定の該事実から見ても)に照らすときは、むしろこれは当然であつたというべく、原告は右契約の内容を十分承知の上これを拒むことも可能であつたけれども止むを得ないものと諒承して締結したものと認められるから原告の要素の錯誤の主張は到底理由がない。よつて別紙目録記載の各物件が原告の所有であるとして被告に対しその所有権移転ならびに引渡しを求める原告の請求は失当である。

四  次に原告が解散したものであるかどうかについて考察するに、原告が解散決議によつて解散したものでないことは本件口頭弁論の全趣旨に徴して明らかであり、競馬法第三十七条第四項の規定および前記契約の約款(六)はいずれも原告の解散登記は農林大臣が行うと定めたのみであつて、これらの規定ないし約款によつて原告が解散するものとは到底解し得ない。被告は原告がその目的たる事業の成功不能によつて当然解散したと主張するところ、前記認定の原告の解散登記のなされた昭和二十三年七月十九日において原告の構成員の大部分が消滅したり、解散していたことは被告の主張するとおりであるが原告の設立当時からの構成員である都道府県馬匹組合および郡市馬匹組合が存在したこと(その後において解散したが)は本件口頭弁論の全趣旨に照らして明らかであり、又当時すでに原告の会員として加入していた日本家畜商協会、全国馬術連盟、輓曳協会は現在まで解散せず存在していることは被告の明らかに争わないところであるので民法所定の社団法人の解散事由の一である社員の欠亡とは社団法人の社員が一名も残存しなくなつた場合をいうものと解すべきであるから、原告については社員の欠亡による解散事由が発生したとはいえず、新競馬法の施行により競馬の実施ができなくなり、前認定のように、その資産負債を政府に包括承継され、その構成員たる会員の大半を失つたとしても、原告は冒頭掲記のとおり「馬の改良増殖、利用増進、適正取引、馬事思想の普及その他馬事振興を図り、これに必要な事業をおこなう」ことを目的として昭和二十一年二月九日設立せられた社団法人であつて、同年十一月二十日地方競馬法の公布により地方競馬の施行を認められるまで競馬以外の諸種の事業をおこなつてきたことは前認定のとおりであり、なお、その会員が残存している以上その目的たる事業の成功不能が客観的に確定したものとはいえないから原告が右事由によつて当然解散したものと解することはできない。

(もつとも原告の解散登記に際して原告の代表者会長の原告が目的たる事業の成功不能によつて解散する旨の上申書が提出されていることは前認定のとおりであるが、社団法人の解散事由たる目的たる事業の成功不能とは法律上又は事実上目的を達成することの不可能なことが確定的になることであつて、仮に一時的に不能であつても可能となる見込のあるものはこれに該当しないものと解すべく、このことは代表者の主観的判断によつて左右されないものといわなければならないから右上申書の存在は前認定を覆すに足りない。)

そうだとすると原告についてはいまだ法定の解散事由が認められないから、たとえ解散登記がなされていても、原告はなお解散しない法人として存続するものといわなければならず、その確認を求める原告の請求は理由がある。(被告は原告が解散したものであると主張しているから、右法律関係について確認の利益が存することは論を俟たない。)

五  よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条第九十二条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 石田哲一 西川正世 田中恒朗)

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